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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)1437号 判決

被告 巣鴨信用金庫

理由

一  昭和四二年一〇月三〇日被告金庫駒込支店(以下単に駒込支店という)において、鈴木はな子名義の新規の普通預金(利息日歩七厘)口座が開設され、この口座に対し同日五〇〇万円の入金があり、証書番号第二二九三八号の普通預金通帳が発行されたことは当事者間に争いがない。

二  まず、右の預金債権者が原告であるかどうかについて判断する。《証拠》を綜合すれば、

1  駒込支店の窓口で右の預金手続をしたのは原告と訴外中村由次郎であり、その資金は訴外常盤相互銀行上野支店から同日原告が下してきた一、〇〇〇万円のうちの五〇〇万円であつた。

2  右の預金がなされる前後に次のような事情があつた。即ち、その四、五日前の昭和四二年一〇月二五、六日頃、北区西ケ原に住んでいるという訴外永富金吾から駒込支店に取引を始めたいから自宅に来てくれという趣旨の電話があつたので、同支店得意先係長の山中紀久夫が永富宅に赴いたところ、同人から「おたくの店は近いので、方々に分散している預金を集めて預金するつもりである。なお、当座預金の取引もしたいが、自分は前に不渡処分を受けているので、使用人の鈴木芳夫名義でする。預金は数日中におこなう。」とのことであつた。本件の預金がなされたのは、当日の午後三時すぎ頃であつたが、同日の午後四時頃外廻りから帰店した前記山中が預金係や営業係に問合せをしないで直ちに前記預金の件について永富に電話したところ、「今日使いの者に五〇〇万円持たせておたくの店に行かせた。」旨の回答があり、原告と中村が前示の預金手続をしたことを永富が既に了知していたのであつた。そこで、右の山中係長と西村預金係長とは、早速永富宅を訪れて同人に感謝の言葉を述べた。これに対して永富は、右の電話と同内容のことと、いずれそのうち融資を受けたいのでこの相談にも応じて欲しい旨を話していた。

3  このような事情があつたため、原告と中村とは駒込支店の窓口で自分達の氏名や住所を明かさず、これを取扱つた同支店の係員としてもこの点を特に問い質すことはしなかつた。しかし、その一方で原告は、必要な書類に押捺するため前記常盤相互銀行上野支店から駒込支店に来る途中買求めた「鈴木」と刻印された認印の外縁部三ケ所ほどをナイフで削り取り、又右の係員に対し特に「本件預金の払戻を受けるときは必ず自分で窓口に来るようにする。」旨の申入をしたのであつたが、自分が何処に住む何者であるかはやはり明かにしなかつた。因みに、原告は駒込支店の窓口ではかなり大きなマスクをかけていたが、同店から出た後近くの飲食店で中村から「一杯」の馳走を受けている。

4  本件の預金がなされた二日後の昭和四二年一一月一日の午前一一時頃、永富から前記山中係長に対し「急に用ができたので本件預金の中から一五〇万円払戻しを受けたいが、実は通帳が今手許にない。印鑑はあるので、鈴木芳夫を使いにやるからよろしく頼む。」との電話があり、山中も「どうぞ」と言つてこの依頼に承諾を与えた。永富は、かねてより駒込支店から持込んでいた所定の普通預金払戻請求書に、事務員に命じて自宅で「鈴木はな子」と記載させ、あり合せの「鈴木」という認印を押捺して、これを鈴木芳夫に預けて同日の午後零時頃同人を駒込支店に赴かせた。山中係長は、永富宅を訪れた際、鈴木芳夫に会つて面識があつたし、右の印影が外縁部の欠落こそなかつたものの原告の用いたそれと類似していたので、同じ印章であると誤認して信用し、無通帳のまま一五〇万円の払戻手続をした。鈴木芳夫は、永富宅に戻つて同人に一五〇万円を渡した際、「案外簡単に払戻ができた。この分なら二〇〇万円請求しても応じてくれたかもしれない。」と報告した。

5  同年一二月六日、原告は前記の外縁部を削り取つた認印と通帳を携えて駒込支店に赴き、本件預金の解約を申入れて五〇〇万円全額と利息の払戻しを請求したが、元金一五〇万円は払戻済であると断わられ、とりあえず残余の三五〇万円と解約利息を受領した。この時原告には、右のごとき払戻とか解約を必要とする特段の事由はなかつた。

6  なお、本件預金に用いられた鈴木はな子なる名義は、原告や永富の通称ではなくて全く架空の名称であり、ただ永富が訴外赤坂美里という女性に「鈴木」の姓で預金するように伝え、中村由次郎から原告に対して同様の依頼があつたこと(右四者間の連絡については後に判示する)から、このような名義が用いられたのである。

以上の各事実を認めることができ、これに反する特段の証拠はない。

三  思うに、架空名義でなされた預金の債権者を決するためには、(イ)預金者側の関係人が前後を通じて単一であるかどうか(即ち、単一であれば原則としてその者が右の債権者に確定されよう)、(ロ)単一でない場合、金融機関側において本名や住所等の人定事項を知つている対象がその中の誰であるか、(ハ)複数関係人のそれぞれの地位、役割即ち預金者本人である者とその機関、使者もしくは代理人である者とを外部から識別することを可能ならしめる徴表なり事情が存在するかどうか、(ニ)預託された金員の出所はどこか、(ホ)印章や通帳を誰が保管又は所持しているか、印章が用いられずサインでなされた場合にはその筆跡が誰のものか、これらの諸点が規準として考慮されるべきである。前記認定の各事実をこれらの規準にあてはめてみると、(ニ)(ホ)の点からは原告が本件の預金者であるといえそうであるが、(ロ)(ハ)の基準に照せば永富がこれに該るかのごとくであり、いずれともにわかには決しがたいところである。付言すれば、印章と通帳を所持していることは、預金者本人であることを示すいくつかの徴表の中の一つにすぎず、しかも代理人や使者として所持していることも充分にあり得るのであるから、決定的な要素ではない。又、資金がもともと誰のものであつたかということも、預金に際してその者以外の名義が用いられた場合には、或る者に対する贈与とか貸与の準備又は履行としてなされることも考えられるので、右と同断である。その上原告は、本件の預金手続をした時に駒込支店の窓口で何故かかなり大きなマスクをしていたため(原告が当日出歩いていたことや飲酒していることからすると、風邪等に罹患していたためかどうか疑わしい)、その容貌すら被告金庫側にとつてはつきりしなかつたこともうかがわれるのである。

四  しかしそれにしても、前記(ホ)の点は一番客観的な規準であるから、印章や通帳を終始所持していたとの推定を受けて右の規準を充足する原告を一応本件預金の債権者であると仮定し、この上で次の判断を進めることにする。

原告は、本件預金をした動機なり原因について要旨次のように供述した。即ち、「以前土地の売買で二億円位儲けさせてくれた訴外中村由次郎から、中村の知人で鈴木という者が被告金庫と取引があり、鈴木の姓で預金をしてくれれば、同人の取引が非常に楽になると頼まれたためである。永富は全然知らなかつた男である。なお、同じく中村から頼まれて、三菱銀行駒込支店に田村清名義で一、七五〇万円、第一相互銀行錦糸町支店に鈴木きよ子名義で三〇〇万円それぞれ預金したことがある。本件の場合も含めて、いずれも一ケ月間位預金してくれればよいということであつた。中村から裏金利を受取つたことはない。」と。

証人中村由次郎の証言は、「訴外の赤坂美里という女性から二〇日間位鈴木という姓で駒込支店に預金してくれと頼まれ、そのように原告に伝えた。預金した当日同女に対し、通帳番号と鈴木はな子の名義を電話で報告した。赤坂は二〇日間位の預金の謝礼として一五万円を持つて来たので、そのうち一一万五、〇〇〇円を受取り、三万五、〇〇〇円は赤坂に戻してやつた。原告には一杯飲ませただけで、礼金はやつていない。当時まで永富とは会つたこともなく、全く知らなかつた。同人と会つたのは、二〇日間という当初の期限を更に延長して欲しいとの交渉を受けた時である。私は、鈴木はな子さんにそのように伝えますとその時永富に答えておいた。」というのである。

これらに対して、証人永富金吾は、「本件の鈴木名義の預金は、私が赤坂を通じて中村由次郎に依頼したのである。中村とは一四、五年前からの知合であり、預金がなされたことも中村から当日電話で聞いた。そのすぐあとで、私の方から駒込支店に電話を入れて、この旨の確認をしたように記憶する。本件の預金をして貰つたことについて、合計四五万円の裏金利を赤坂に交付している。原告とは、同人が本件預金を解約した日に被告金庫の係員に連れて来られた時まで全然会つたことがなく、名前も知らなかつた。」と証言し、右証言の途中、在廷していた原告をよく知らないような、殊更と思われる言動を示した。

以上の各供述を対比、綜合し、かつ弁論の全趣旨を勘案すると、いずれも言葉の上では永富と原告との間に意思の連絡があつたことを否認しているが、本件のごとき預金をすることの目的とかこれによつて生ずべき利益について納得の行く説明がなされず、供述内容にも矛盾があり、多額の裏金利が流れていること等からして、却つて、たとえ黙示的なものであるにもせよ、永富と原告との間によからぬことを目論んだ意思の合致があつた事実を推認するに難くない。

五  ところで被告は、第二項の4に判示した事実を基礎にして、仮に原告が本件の預金債権者であるとしても、永富を債権者であると信じて、昭和四二年一一月一日同人に一五〇万円を支払つた旨抗弁する。この仮定抗弁は、上来判示したところに徴すれば、債権の準占有者に対する善意弁済の主張として充分理由のあるものである。

それ故、種々の疑問点を一応伏せておいて、原告を本件五〇〇万円の預金債権者であるとしてみても、これは既に元利とも有効に弁済されて消滅したものといわなければならない。

六  よつて、原告の請求は理由なきに帰するから失当として棄却

(裁判官 小林啓二)

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